今年の沖縄旅行の最後の最後、空港へ行くタクシーから見えた、澄んだ青空には似つかわしくない、硬そうな灰色をした巨大で異様な停泊船を見て、「あの船なんなんだろうね」などと妻と話をしていると、運転手のおじさんが「アレは米軍の貨物船だよ」と教えてくれ、続けてその港にまつわる話も聞かせてくれた。その港は、ベトナム戦争時米兵の遺体の帰ってくる所でもあり、その遺体を洗うという特殊な仕事が沖縄の人向けにあったらしい。高給だが戦場で死に至らしめられるほどの激しい損傷の兵士の遺体を綺麗にするなどという過酷なその仕事内容から応募者はほとんどいなかったという。
今年はベトナム出兵前のアメリカ人にとっては最後の遊び場ともなっていたという嘉手納基地前の歓楽街であるコザにも行くことが出来たので、あそこから出てここに遺体として帰ってきてしまった米兵が多数いたのだと想像すると、旅の終わりにたまたま聞けたその話は感慨深さがあった。
コザの街はベトナム戦争以後は随分と景気が悪化した上にその後も立て直しに失敗を重ねたらしく、夜には飲み屋やクラブなどでまだ盛り上がりが少しはあるらしいが、訪れたその日中の時間は商店街は暗く閑散としていた。ただ当時から米兵に向けた刺繍屋を営み今も営業をしている店が数件残っており、その中でも一番イナたくて良い感じの店構えと品揃えの80を超えているであろう老夫婦の営む刺繍屋で買い物をした。
現在のコンピューターベースのテクノロジカルな刺繍とは真逆の、荒っぽいフリーハンドの肉厚な刺繍に即心打たれ、8,000円近くものワッペンを購入してしまったが、実際にはそれだけでは足りておらず、もっと欲しい刺繍が沢山あった。なので、せめて来年に再訪できるその時までの店の存続を祈っている。
で、いきなり全然関係のない話にするが、人に頼っていい社会、人に頼ることをむしろ推奨する社会、それはとても良いことだなと思う。自助ばかりを押し付けてくる社会は冷たくて嫌ではある。
ただ俺は人に助けを求めてはいけない、少人数であっても群れたら堕落するタイプの人間であるといまさら気づいた。ここ一年半くらいはそんなことを考えていたが、誰にも助けを求めないをテーマに行動をしていたら少し良い結果が出てきて、間違っていなかったのだと思えた。
熱心に彼の曲を聴いてきたわけではないが、ECDが生前「人はどこまで行っても個である」的なことを何かのインタビューで言っていたのと、騒がしい恵比寿のクラブ隅の階段で一人座っていたECDの姿よく思い出す。
断片的な記憶しかないし、彼が何を意図してそのような事を言っていたかはわからないが、その言葉にすごく納得をしている、最近。
最近は作品コンセプトの文を色々書いてたから、このどうでもいいブログ文すらも硬くなった気がする。
まあいいや。あ、沖縄のHIPHOP好きのSGDというおじさんがBLUE HERBのあーだこーだで、同郷の沖縄のラッパーに「SGDのYoutubeはいいけど、SNSがださい」とかTwitter上で言われていたのを少し前に目にしたのだが、かっこいいSNS、かっこいいTwitterというものは、そもそも何処にも存在しないのではないかと思った。存在を信じている人は「かっこいいSNS運営」という本でも出したら売れるかも
以上、明日からはのホワイトニングを始める、おやすみ。
この夏のヘビロテ
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