墓でコラージュ

先日SNSに画像と共にやや誤解を招く文面を投稿したことにより、友人が心配をしてわざわざ電話をくれた。なんとも、単純に、俺にはそんな友人がいたのだとありがたく感じたのだが、俺としては死を仄めかしたつもりはなく、文字通りアーティストMAという名前と共に、ここ最近やってきたことを捨て、方向転換をした上で的を絞らなければと、思ったのであった。
まあ、実際に心療内科?精神科?などに行けば軽度鬱と診断をされる自信は十分にあるが、まだ生きる希望はわずかばかりではあるが、残っている。
なぜ方向転換を考えているかといえば、ある人から助言をもらったからなのだが、未だモヤる部分も残っており、全てをここには記せない。
今までは他人の助言は叩き潰して唾をぶっかけていたが、ようやく人の助言を聞ける人間になれている、今。これは俺の中ではなかなかの進歩でもある、そう思うようにしている。
そんな感じで助言を受け、ここ数年続けていたコラージュやラフなペインティングは一度切り上げ、最近は油彩絵を描いている。

MAとコラージュを墓に埋めると言うことで、思い出してみる。
初めてのコラージュは、中学生の時の授業で、修学旅行の旅のアルバムを自身で撮った写真と雑誌の切り抜きを組み合わせ作った時、とても創作意欲を刺激されるその手法に夢中になり、とても好きになった。
コラージュという名を知ったのは大学一年の課題で出された時で、「ああ、あれじゃん!」とバーストの死体写真を意気揚々とコラージュし、まあまあいい評価を受けた。ちなみに周りのコラージュを好む人たちはPUNKカルチャー等から影響を受けたと言う人が大多数だが、俺は意識的にはそこからの影響は受けていない。後にそのバーストの死体写真家の人など、パンクやハードコアのビジュアルイメージをキャッチし知らず知らずに影響を受けていたと気づいたが。

そんな感じでなんとなく昔から得意でもありさんざんやって来たのだが、「コラージュをやっている人」という目で見られるのが実は嫌であった。SNSのみでの知り合いにSNS外で初めて会った際には「ああ、コラージュの」と言われるのも非常に嫌であった。
創作意欲を刺激してくれるいい手法である一方、中学生でもできるくらいそれは誰でもできるお手軽「アート」であると俺自身が理解をしているからに他ならない。それに絵を描くその辛さから逃げている、という引け目もあった気がする。
そうは言っても、世にある大体のコラージュは目も当てられないダサさであるし、俺の作ったものの方がかっこいいのは言わずもがな、でもあるし、自身の感覚のトレーニングにそれはとてもよいので、続けては行こうと思う、墓の中で。

まだいくべき方向を見定めている最中なので、どのようにするかわからないが、とりあえず久々の文は終わる。久しぶりに書いたら超時間かかったし、無駄に疲れた。
最近お気に入りの音楽はDJ BUNのNEW、R.A.P. Ferreira & Fumitake Tamuraというユニットのアルバムが超かっこよくて、リピートしています。


MA [em-ei]

1985年 アジア・日本生まれ 東京都在住

2012年2月24日の自身の誕生日に初個展「BORN IN JAPAN”[F*** you, I won?tdo what you tell me ]」を活動の声明とし開催して以来、アーティストとして活動を続けている。
油彩での写実的表現から、ステンシルを用いてのスプレーペイント、自身の街でのグラフィティから着想を得たペンキで描かれる「ドリップレター」など、各種油性塗料を主に使用したペインティング作品、そして雑誌、写真、ドローイング、文字等を元にアナログとデジタルの双方でのコラージュ作品、またそれらを組み合わせて作品制作をする。

WEBサイト : zmawamz.jp/
ショップ : shop.hidden-circus.com/


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